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名古屋地方裁判所 昭和51年(ワ)1803号 判決

原告

西田善藏

右訴訟代理人

加藤高規

甲村和博

被告

春日井市

右代表者市長

鈴木義男

右訴訟代理人

北村利弥

戸田喬康

河内尚明

被告

鵜飼義康

右訴訟代理人

後藤昭樹

太田博之

立岡亘

主文

一  原告の被告らに対する各請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一当事者

被告鵜飼が肩書住所地において勝川医院を経営する内科医師であることは当事者間に争いはなく、成立に争いのない甲第一七号証及び弁論の全趣旨によれば、原告が亡マサの子であること及び被告春日井市が被告病院を開設し、これを経営するものであること(この点につき原告と被告春日井市との間では争いがない。)が認められ、右認定に反する証拠はない。

二亡マサの死亡に至る経緯

亡マサが昭和四八年四月二五日午後七時二〇分頃勝川医院に搬送され、その後公立陶生病院に入院し、右病院において死亡したことは当事者間に争いがなく右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められる。

亡マサ(明治二四年八月一〇日生)は、昭和四八年三月二二日から三日間に亘り被告病院において心不全及び不眠症の診療を受け(原告と被告春日井市との間に争いはない)、同月二六日、同月二九日、同年四月三日、同月六日、同月一九日には心臓疾患及び腹痛を訴えて被告鵜飼の往診を受け、同月二三日頃には市川医院(訴外市川医師)による往診を受けていたものであるが、同月二五日午後二時過ぎ頃から高熱を発し、同三時頃市川医師の往診を受けたところ、直ちに入院治療を受けるようにと指示された。亡マサの看護にあたつていた原告は、右指示を得たのち、勝川医院に架電して同女に対する診療を求めたが同医院の被告鵜飼は他に往診中で、直ちに同被告による診療を受けることができず同五時過ぎ頃になつて亡マサの容態が次第に悪化してきたため、被告病院に架電して同女の入院診療を依頼したところ、同病院の当直事務員袴田基夫(以下「袴田」という。)より医師不在を理由にこれを拒否され、やむなく春日井市役所に電話で事情を説明し、被告病院との交渉を依頼して再度同病院に架電し、袴田より「かかりつけの医師に診察してもらい、その結果をその医師より被告病院宛連絡してもらうように。」との回答を得た。そこで原告は、同七時頃勝川医院に架電し同医院の看護助手の鎌倉節子に対し、被告病院にて亡マサを入院治療させるには被告鵜飼の診断が必要である旨告げて同女の診察を求め、右鎌倉の承諾を得た後、同七時二〇分頃救急車によつてマサを勝川医院に搬送した。同医院は被告鵜飼、看護婦、準看護婦各二名、看護助手一名の医院で入院治療を施すに足る設備はなく、亡マサが同医院に搬送された当時、同被告は、診察室で患者の診療に従事し、更に待合室に八名ないし一〇名の患者を待たせていた。亡マサは、救護隊員によつて担架で待合室の一段高くなつた畳の上に運ばれ、看護婦によつて直ちに検温、問診、病状の聴取を受けた。被告鵜飼は亡マサが救急車によつて搬送されてきたことを知り診察中の患者の診察を数分程で済ませたのち待合室において、畳の上で体をくの字に折りまげて苦痛を訴える亡マサの診察に着手し、体温三九度六分、脈搏一分間九八、血圧一五二―九〇、強度の腹部痛、心臓の雑音、軽度の意識混濁を認め(同女を動かすことができないため、心電図、尿の検査は全くできなかつた)、心筋障害による急性冠不全症状と診断し、腹痛に対してブスコバン一ミリリットル、解熱のための抗生物質アクロマイシン一〇〇ミリグラム、心筋障害に対して二〇パーセントブドウ糖二〇ミリリットルと心臓循環増強剤ベルサンチン二〇ミリリットルの混合液をいずれも注射したものの、亡マサが危篤状態にあり、即刻入院治療を必要とするものと判断し、原告にその旨を告げ、原告から、「被告病院との間で、被告鵜飼が亡マサに対し入院治療を必要とする旨の診断を下せば、同病院が同女の入院を受付ける旨の約束ができている。」との回答を得て、同日午後八時過ぎ頃看護婦に対し、電話で被告病院に連絡するように指示し、他の患者の診察にあたつていたが、看護婦から、被告病院においては事務引継ぎを受けていない旨述べて亡マサに対する入院治療を拒否している旨告げられ、自ら右電話口に出て被告病院の当直看護婦及び袴田に亡マサの入院診療を依頼した。しかし被告鵜飼においても被告病院の右当直者らから事務引継ぎを受けていないとの理由で亡マサの入院治療を拒否されたため、春日井消防署に架電して更に被告病院での入院治療を依頼し、同消防署より同病院の承諾がなければ出動できぬとの回答を得て、再度同病院に架電し、当直の奥村医師(脳外科専門医)に亡マサの容態及び同日発病以来の経過、同被告のとつた措置等を告げて、同女の入院診療を依頼した。これに対し同医師は、同医師は外科医であつて、当夜被告病院には内科医がいないこと、重症の入院患者がいて手不足であること等を理由に同女の入院診療を拒否し、被告鵜飼にかわつて電話口に出た原告からの入院診療の依頼に対しても同様にこれを拒否した。被告鵜飼は、再度春日井消防署に架電し、被告病院への亡マサの入院の交渉を依頼したが、同消防署の交渉によつても同病院の入院の承諾は得られず(なお、被告鵜飼らと被告病院との電話による交渉は延べ四〇分ないし五〇分に亘つたものと推認される)、同消防署とともに亡マサの入院先を捜すことになり、鎌倉節子に指示して足立病院、小牧市民病院、上飯田第一病院、名古屋大学附属病院、国立名古屋病院に順次架電させ、亡マサの入院診療を依頼したがいずれも拒否された。その後春日井消防署から被告鵜飼に対し瀬戸市の公立陶生病院が亡マサの入院治療に応じる旨の連絡があり、同女は同日午後一〇時三〇分頃救急車によつて勝川医院を出た。なお被告鵜飼は亡マサ来院後、前記第一回の診療ののち、同日午後八時過ぎ頃、同八時四〇分頃、同九時二〇分頃、同一〇時三〇分頃の四回に亘り同女を診察し、又その間看護婦、準看護婦四名が交替で冷水につけたタオルで同女の頭部を冷やしたが、同女の体温は降下することなく(腹痛は緩和した)、同日午後一〇時三〇分頃には同女の体温は四〇度四分に達していた。亡マサは、同日午後一一時一五分公立陶生病院に搬送され、直ちに点滴を施され、抗生物質、解熱剤及び強心剤の継続的投与を受け、翌四月二六日午前二時頃には一時的に三七度八分まで体温が降下したものの、全身状態については同病院に収容以降ほとんど改善傾向が見られず、全身衰弱が進行し、同日午後六時二〇分急性心不全により死亡した。

以上の事実が認められ〈る。〉

三被告春日井市の責任(債務不履行及び不法行為)

1  債務不履行責任

(一)  亡マサと被告春日井市との間に昭和四八年三月二二日、同女の心臓疾患の診療を目的とする診療契約が締結されたことは原告と同被告との間に争いはないものの、診療契約は患者の一定の疾患に対する診療を内容とするものであり、患者が医師に対し診療の機会を提供しなければ、医師としては右契約に基づく債務を履行することは不可能であるといわねばならない。従つて、両者は患者の症状に応じた一定の協力関係にあるものと解すべきところ、本件における昭和四八年三月二五日当時の亡マサの症状は、相当期間をおいて病状を観察し、治療を加えることを可能とする状態にはなく、既にその時点において木目細かい継続的な診療を要する状態であつたことが推認されるにもかかわらず、同女は前示のとおり同月二四日の受診以後被告病院を受診せず、しかも同月二六日、同月二九日、同年四月三日、同月六日、同月一九日には被告鵜飼の往診を受け、又同月二三日頃には市川医師の往診を受けたものである。

即ち、被告病院は同年三月二五日以降同年四月二五日に至るまで亡マサについてその症状に応じた適切な診療を為す機会が与えられなかつたというべきである。右事実よりみると、前記診療契約の特殊性に鑑み、亡マサは遅くとも同年四月二五日に至る以前に自ら前記診療契約を解約する旨の黙示の意思表示を為したものと解するのが相当である。従つて、前記診療契約の存続を前提として、被告病院に対しその債務不履行責任を追求する原告の主張は採用し得ない。

(二)  次に、前示のとおり、原告が昭和四八年四月二五日午後七時頃被告病院に対して亡マサの入院診療を依頼したのに答えて、同病院の当直事務員袴田が「かかりつけの医師に診察してもらい、その結果をその医師から被告病院宛連絡してもらうように。」と告げた事実は明らかであるが、証人袴田基夫、同奥村武夫の各証言に照らすと、被告病院の当直診療時間(平日は一七時から翌朝八時三〇分まで)における入院診療依頼を受けるか否かの決定は当直医師の判断に委ねられている事実が認められ、右事実に証人袴田基夫の証言を併せ考えると、袴田の原告に対する右応答は当直医たる奥村医師が入院診療の適否を判断するためのいわば資料として、亡マサのかかりつけの医師による同女の病状に関する判断を求めたものと解するのが相当であり、前記の袴田による原告に対する応答の事実のみをもつて、亡マサと被告病院との間に原告主張にかかる条件付診療契約が締結されたものと見ることはできず、他に右主張を認めるに足る証拠はない。

よつてその余の点を判断するまでもなく原告の債務不履行に基づく主張はいずれも理由がない。

2  不法行為責任

(一)  医療法三一条ないし三八条は、公的医療機関の設置及び運営等に関して定めた規定であつて、右規定から直ちに公的医療機関において国民に対する何らかの法的責任が生ずるものと解することはできない。また被告病院が救急告示病院であることは証拠上必ずしも明らかではないが、仮にそうだとしても、前記省令制定の趣旨、同省令一条一号の文言及び消防法二条九項の規定の趣旨及び文言に照らし、同省令一条一号における「相当の知識及び経験を有する医師」とは外科医師を指すものと解すべく、同省令が救急告示病院に対し内科専門医が常時診察に従事していることまで要求する趣旨のものではないと解するのが相当である。従つて救急告示病院において内科専門医が常時診療に従事することが国民医療の観点からは望ましく、また内科的急病が消防法二条九項の解釈上同条同項における救急業務の対象となりうるとしても、そのことから直ちに同病院における内科医の不在が同省令違反ないし民法上の不法行為に該当するということはできない。

(二)  医師法一九条一項は「診療に従事する医師は診察治療の求めがあつた場合には、正当な事由がなければこれを拒んではならない」旨規定するが、右規定における医師の義務は公法上の義務と解すべきであり、右義務違反が直ちに民法上の不法行為を構成するものと断ずることには疑問がある。仮に民法上の不法行為を構成するとしても、本件における奥村医師の右入院診療の拒否は、昭和四八年四月二五日の被告病院の当直医師が奥村医師一人であつたこと、同医師は同日午後五時以降翌二六日午前八時三〇分までの当直時間中に出産二名を除く四名を入院させ診療しているが、そのうち同月二五日午後六時頃入院させた一名は交通事故による重傷者で出血が激しく、被告鵜飼より亡マサに対する入院治療の依頼を受けた同日午後八時頃、同患者に対する治療に追われていたこと、前示のとおり、同医師は被告鵜飼からの亡マサに対する入院治療依頼の電話において、同女の容態、同女に対し同医師の採つた措置について説明を受けていると認められ、この事実に〈証拠〉を総合すると脳外科の専門医である同医師としては、同女を入院診察したとしても内科医である同被告のなした右措置以上の適切な措置を採ることは困難であり、他の専門医の診療を受けさせた方が適切であると判断したものと推認されること、等の事情を考慮すると、やむを得ざる入院診療の拒否であり、前記医師法上の義務違反には該当しないものと解するのが相当である。従つて奥村医師についてはその余の点を判断するまでもなく不法行為は成立せず、被告春日井市においても不法行為青任を負うべきいわれはなく原告の主張は理由がない。

四被告鵜飼の責任(債務不履行責任、不法行為責任)

1  昭和四八年四月二五日午後七時頃亡マサと被告鵜飼との間で、同女についての診療契約が締結されたことは原告と同被告との間で争いはない。そこで右契約が同被告において同女を診察するのみならず、治療をなすことまでをその内容とするか否かにつき判断するに、前示のとおり原告は、被告病院に入院するためには被告鵜飼による亡マサの診察及び入院が必要であるとの診断が必要である旨述べて同被告の診察を求め、勝川医院の看護助手鎌倉節子がこれを承諾したものであるが、原告においては亡マサについて救急的治療が必要である場合にはかかる治療をも求める意思が存し、また右鎌倉においても右治療をなすべき場合があり得ることをも了解した上での承諾と解するのが、当事者の合理的意思の解釈として相当であると解される。従つて被告鵜飼は前記契約に基づき亡マサに対する適宜の診療を為すべき義務があつたものと認められる。

ところで被告鵜飼は亡マサに対し前記認定のとおり、鎮痛剤、解熱剤、心臓循環増強剤を注射し、五度に亘り同女を診察し、かつ同女の入院先を求めて相応の努力をしたことが認められ、前示の公立陶生病院における亡マサに対してなされた処置に照らし、後述のように入院設備をもたぬ被告鵜飼としては、適切な診療行為を尽くしたものと認められる(点滴を施さなかつたことは、入院治療設備がない以上やむを得ないものと認められる。)。

2  証人川地節子の証言及び原告本人尋問の結果によれば、勝川医院においては昭和三四年九月の伊勢湾台風により病室が使用不能になつて以来、入院治療設備を備えていない事実が認められる。従つて、被告鵜飼が原告による亡マサの入院依頼を拒否したことはやむを得ないものと認められる。

よつて、被告鵜飼においては、亡マサに対する診療義務の懈怠及び診療拒否の事実は認められず、その余の点を判断するまでもなく、原告の主張はいずれも理由がない。

五してみると、その余の点を判断するまでもなく、原告の被告春日井市、同鵜飼に対する各請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(加藤義則 谷口伸夫 松本健児)

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